IntelPR記事に思うIntelの苦悩……25年前なら、この5年分のベンチマークでの進化を1回の発表で行える。

PC WatchのPR記事の第二弾である。本当にIntelがこういうPRをするのは時代が変わってきていることを意味する。


この記事のCoreブランドは6世代から10世代のうちIce lakeを除いて全て同じSkylake Micro-Architectureである。だから、CPUベンチマークのデータは4770Kから周波数とコアの増加分×1.1+α(メモリーホスト)+β(チップセット)+γ(その他要因)ぐらいしか性能が上がっていない。そして、最新のComet LakeはCoffee Lake Refreshより高クロックになった分、最大クロック/最大スロットル時の電力パフォーマンスが著しく悪化することも分かってきている。
いわゆるサーバースケール(エンスージアスト向け)のプロセッサーと同等に足を突っこむ形になってしまったわけだ。

これが、アーキテクチャを最新相当(全部は取り込めていないだろう)に変更したRocket Lake(14nm)でどこまで挽回出来るかが期待されている。
それが出来なければ、パフォーマンス系のSは、同社のエンスージアスト製品群であるEP/EXとの差別化が難しくなるだろう。GPUがあるかないかぐらいの差になるからだ。

GPUにIntelが力を入れていくのは、CPUの大幅な性能向上をプロセス技術で支えるのが難しく、それをやるにしてもセキュリティ(サイドチャンネル攻撃)問題が生じかねないこと、さらに省電力製品がコンピュータ全体に求められはじめ、高クロック化が出来なくなってきていることが影響しているのだろう。


<性能が最も上がった時代>

尚プロセッサーの性能が最も上がった時代は、x86だと94年~1999年末までの5年間である。約20年前から見て過去5年ということだ。1994年はIntel Pentium(開発名80500と同501アーキテクチャ名P5、投入前の市場予想ブランドはi586)が投入されて1年経った頃であり、P5Cに変わる頃だ。またIntel DX4が投入された年である。ちなみにこの当時に投入されたIntelプロセッサーの周波数は一番下のグレードで25MHz(0.025GHz)~最上位のグレードで100MHz(0.1GHz)である。前者がi486SX2で後者がDX4(i486で外部クロックの3倍で動作する製品)である。因みに、Pentiumは75MHzか100MHzが出回りはじめた年のはずだ。

AMDはAm486SX2/DX2時代である。しかも、今のような高性能なオリジナルではなく、Intel互換のプロセッサーをIntelより安価で同じブランドより高性能に作る時代だった。因みに、後にNational Semiconductor Corporationを経てVIA Technologiesに資産買収されたCyrixも当時は互換プロセッサーや独自のオーバードライブ、数値演算プロセッサー(数値データプロセッサともx87ユニット言われる)を製造していた。

当時は、まだi486SX(intel 486SX)が存在しており、x87 FPUがコプロセッサー化されていない製品もあった時代である。SXでは別途オーバードライブプロセッサーを搭載することでDXやDX2、DX4後にPentium相当のx87 FPUをサポートしていた。Pentium系の頃は下駄と呼ばれるソケットのピン互換や電圧電流互換を変換する脚も存在しIntelのプロセッサーに乗っかる互換メーカーもCyrix、AMD、IDTなどいくつかいたので、アップグレードはいろいろ出来たものだ。

これが、5年後の1999年の末にはCoppermine版のPentium Ⅲで800MHz(AMDはAthlon 750MHz<K75版Athlon>)にまで進化する。
厳密にはその後1年でAMDが1.2GHzのAthlon(Thunderbirdコア)まで投入し、1年で単純計算能力は1.5倍以上も上がるわけだ。
ちなみに、このAMDプロセッサーThunderbird(サンダーバード/雷鳥)は、ヒートスプレッダーはないむき出しコアで、コア欠けが起きやすく、オーバークロックに失敗して熱暴走することがよくあるという特性から、焼き鳥という異名も与えられた。


この間に開発された技術は全製品でFPUを内包すること、今でも続くMMXの搭載、既に使われていないが3D Now!や、今ではAVXに置き換わったSSEによるSIMD命令セット(SSE2まではW8.1で必須化された)、DDRを用いたバス技術、スカラ技術の強化をする中で拡張されたRISC OP(μOP)デコーダーと分岐の姿が概ね決まったこと。パイプライン処理の拡張によるIPCの急速な発展、2次キャッシュ(L2C)の内包、L2Cをバックサイドバスによる低速稼働から、内部データバスに直結させる等速化などなど、凄まじい数の技術が隔離される。

クロック周波数が2倍になれば性能は2倍になるが、コアの仕様が変わりMMXなどの命令セットが搭載され、それがソフトウェアで使われるだけで、性能が倍どころか2倍以上の効果を上げるケースも多かった。結果的に、100MHz→800MHzという8倍のクロックアップ(年率2倍の性能向上相当)に見えて、中身の性能はその4倍から8倍ぐらい上がっている。廉価品の486SX 25MHzなどと比べるとクロックだけで32倍、Integer性能(ALU)に対してFloting Pointはほぼ0(ALUで代替させるので頑張って1でるかどうか)だったという必須ワークの追加もあり、出来ることの幅自体を広げたという点でも、この頃は凄い進化をした時期である。

ちなみに、先に書いたように2000年も今と比較すると凄い進化を遂げているが、2000年代は徐々に鈍ってきている。これは、一通り性能を高める要素が、この辺りで出来上がったからである。

尚、90年代は互換プロセッサーメーカーやチップセット(マザーボード)ベンダーがIntelとクロスライセンスを結んで製品を出していた時代でもあった。しかし、これは、Pentium IIIの登場で終わる。チップセットは暫く互換製品が出せたが、それもPentium 4世代までで終わっている。

まあ、これはクロスライセンスを使うと、ライバルがその技術を学び応用するチャンスを与え、Intelにとって不利になるからだ。その技術停止第一弾となったPentium III世代以降で、独自設計に入り生き残ったのがAMDなわけだ。Cyrixも独自を目指したが残れなかった。

AMDはそこを見越してチップセットやCPUの設計まで行う予算投資を行いDigital Equipment Corporation(DEC)のAlpha EV6 Architectureのバスプラットフォーム使われたDDRシステムバス技術をCPUとメモリーホストとの間に取り込むこと、さらにこれまで同社が培っていた互換プロセッサはIntelの同等品よりちょっと性能が良いという部分を最大限活用して生き残った。このAMDの挑戦がなければ、IntelとAMDの競争はなくコンピュータ=x86という構図はもっと早くに変わっていたかも知れない。
何せ、IntelはRambusとDRDRAMへの置き換え執念を燃やしていたし、何もかもシリアル化するつもりだった。さらに、HPと共同開発していたMerced(IA-64)をWintelのシェアを利用して強引にでも推し進めるつもりだったからだ。

あれをやっていれば、Arm等の他に置き換わるのはもっと早かった可能性もある。考えて見るとIntelの失敗(方向転換)は結構多い。だが、それをプロセスノードの更新の速さと、開発予算体制の多さという面で支えてきたことも2000年代に入ると見えてくる。


今は、そのプロセスノードが弱いだけに、PR記事が必要なほど大変なのだと分かる。特に10700Kや10900Kのような製品は、登場直後こそ品薄になるが、ある程度初期にベンチマーク目的などで買う人を除けば、中長期的な流動性が低くなっているだろう。AMDの方が、明らかにアップグレード用途でも前世代と互換性があるからだ。もうRocket Lake待ちの人もIntelファンには多いはずだ。

尚、Intelが今10nmでComet LakeぐらいのクロックのSunny CoveやWillow Coveを出荷出来ればぶっちぎることがまだ今は可能だ。一部の低クロック製品ではそれが出来ているものの、出荷前等に強気で言うほど数量が出回らないことが、セオリーになった今、難しいと思っている人の方が多くなってきている。ちゃんと高クロックが出せるようになり数量がもっと増えて、14nmから卒業できるラインが広がれば、状況は変わるのだろう。しかし、こういう記事が出る辺り、そう簡単に行かないのかもしれない。












"IntelPR記事に思うIntelの苦悩……25年前なら、この5年分のベンチマークでの進化を1回の発表で行える。" へのコメントを書く

お名前[必須入力]
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント[必須入力]
認証コード:[必須入力]

※画像の中の文字を半角で入力してください。