くま川鉄道、豪雨で全ての車両が浸水 文化財の橋も流失 …… 1年置きに来る大災害で消える地域の経済。

朝日新聞社の記事である。


何というか、西日本では鉄道被害がどこかしらで毎年(最大でも1年置き)のように起きている。そして、一部のルートが完全に回復する前に、次の場所で災害が起きる。2010年代に入って中四国、九州で共通している災害の傾向である。人口も減っていくなかで、鉄道会社や自治体は頭を悩ませることが増えている。今回はコロナウィルス感染症もあるので、必ず復活するという言葉を出す人もいるにはいるが、そこにはかなり苦渋の表情が浮かんでおり、たぶん口に出していても、再建出来ない企業も多いのではないかと予想する。

本当に、何年も繰り返されているこの気象災害は私自身が考えても憎いが、結局は人類が経済活動を通してやってしまった業かもしれないと考えれば、これまでに何故世界はそれを変えようとしなかったのか、今も何故これが変えられないのかと考えてしまう。本当に、このままでは世界経済どころか、人類のコミュニティ全体が維持出来なくなる日が、2050年を迎えるより遙かに早くやって来そうだ。


<気象観測の限界>

今回の災害は気象庁や九州の気象台も前日夜18時~21時の予想と、当日深夜0時~3時、6時までの予報とで大きな乖離があった。何せ、6度も記録的短時間大雨情報(100ミリ前後以上の猛烈な雨が降ったと予想される場所で発表される)の最初の報が出たのは、深夜3時30分だったのだが、それが3時48分までの18分間に3回でてから、1時間後(4時50分頃)に既に災害が起きていると特別警報(既に災害が起きているか、起きていてもおかしくないという警報)になった。

尚、前日夕方の予想では、24時間で最大200ミリ~250ミリクラスだった雨は、深夜の2時間~3時間ほどで突破され、4時50分の特別警報後、6時台と8時台にあった3度の山(記録的短時間大雨情報)で当初予想の概ね倍の雨量にまで膨らんだ。これが予報できる精度の限界であることを気象庁や地方気象台は既に認めている。

即ち、どちらにしてもこの雨に対して、人々の多くが避難を早めに行うとかそういう手段は皆無だったわけだ。
まあ、強いて言えば、防災アプリで大雨の時に避難情報をエリア警告する設定をしている人は、避難できたかもしれない。また、防災ラジオのエリアに人吉市やその近隣の村落が入っているなら、それを使っていると、緊急情報が入ったかも知れないが……。その時点でも既に災害が起きていた場所があったかもしれないので、難しいだろう。

即ち、運だったわけだ。


<治水利水の限界>

因みに今回は治水と利水の限界も改めて示された。例えスーパー堤防などがあったとしても、人吉の洪水は防げなかっただろうと思われる。
そもそも、スーパー堤防は川上や中流域では作れず下流域で出来ることだが、今回の球磨川の氾濫では、川幅が狭くなる狭窄部が人吉市の下流に位置しており、そこに他の支流との合流もあり、滞留と逆流が発生し、背水(バックウォーター)が起きていた。そこの近くには、老人ホームもあり、多くの人が亡くなられているようだ。(尚まだ現地に留め置かれ死亡確認が出来ていない人もいる)

その川幅の狭いエリアで流れが詰まる特性上、盆地の人吉で水が溢れてしまうのだ。人吉では球磨川以外の万江川や胸川、川辺川などの支流も合流しており、盆地故に水の流れも緩やかになる。しかし、人吉より一歩上へ登ると急峻な河川になるため、よほど堤防を高くしないと溢れることになるが、支流も含めて川が交わる町の中でそのための対策をとることは事実上不可能だ。

災害が起きてこれからは予算があればやろうという話になるだろうが、何も起きていない中では難しい。そして、例えやったとしても、限界はやはりあるだろう。即ち、予め費用を掛ければ何とかなったわけでもなく、これだけの雨では決壊をふせぐことそのものが難しかったといえる。

尚、これはそれでも最悪の状態ではなかった。


<後1時間か2時間雨がより強く長く降れば>

水位はもっと深刻なほど高くなり、今回水が来なかった高台でも浸水も起きていた可能性がある。何故?というと、ダムが放流を予告していたからだ。これは、雨が弱まり、流域の流入量が減ったことで事でギリギリで数十分前というレベルで回避されたが、もし放流していたら死者数や行方不明者数がとんでもない(最悪もう2桁死者の桁が増える)ことになっていたかもしれない。

ダムの限界放流はそれぐらい危険だからだ。やらなくて済んだのは不幸中の幸いである。これは、東京や神奈川の台風で昨年放流を予定して中止したというケースと似ている。あれがなくても被害が起きたが、あれがもし行われいたら、冗談じゃないほどの事が起きたという話だ。

四国で、放流して一気に水嵩が増して亡くなられたケースがあったが、あれが人口3万の都市を襲うことになったのである。
これが本当に不幸中の幸いで、実は最悪ではなかったという現実である。ただ、たぶん報道などはそれをあまり本気で捉えていない。実は、土曜日の報道を見ていたのだが、それが行われる直前のワイドショーで、現地に電話取材をしていたケースもあったからだ。今から避難するんですでも大丈夫ですみたいな……。

あれを見て、嘘だろと思ったのは私だけじゃないと信じたい。私が住む地域にも一級河川があるが、大雨を耐えた後の満水放流中は河川敷が沈むなど当たり前にあるのだ。もし、満水で耐えられない放流なら、1階が水に浸かる規模なら、4階に避難するぐらいで考えて置かないと危険だ。そして、それぐらいまで水が来ると、その建物が根こそぎ流されてもおかしくない。

それぐらい不味い状況だったわけだが、十分にそれを報道する側も認識していないのだろう。


<今後を考えると憂鬱>

正直、これからもこの手の大雨災害は起きるだろう。いや、昨年のブラジルのアマゾン火災とか、オーストラリアの火災とか考えると、もっと極端化が進むと思われる。本来、化石燃料を燃やすことよりも、CO2を吸収し固化する森林が無くなることの方が、温室効果は早まるからだ。木々が最も炭素を吸収して固化を進めるのは、樹齢20年~50年とされるが、それ以降も全く吸わない訳では無い。ただ、遅くなるため、古くから生えている木を切り倒し殺せば、数百年分の炭素(二酸化炭素)を空気中に還元する。

それが分かっていても経済を考えるとそれを破壊するのが、今の世界という状況で、今後も極端な雨と干魃という二極化が進んでいくのは必至だ。

そう考えると、対策をとるのも難しくなる。何せ、今回の大雨を教訓とした対策をとっても、10年後にはそれを気象現象が易々と超えてくる可能性があるからだ。即ち、金がいくらあって、技術が幾らあっても、それを上回る速度で気候が変わっていけば、その技術もままならず、作っては壊されることになり、徐々に予算が足りなくなることは明確だ。特に、日本のように人口が増えていない国では、破壊され分をとり戻すための労働力や資本力が減り続けている。

即ち、昭和、平成型の復興は日本ではそろそろ出来なくなってきていると言うわけだ。

そろそろそこも含めて、どうすれば多くの人が死なずに生き残れるかに力を注ぐ必要があるかもしれない。それと同時に、如何に流されても生活資産をなるべく失わずに、最低限の生活が出来るようになるかを、人々は模索せねばならないだろう。流されても流されても、その都度、それ以前の生活と同じだけの物を用意して、元の生活に戻れる時代というのは、今の災害頻度ではたぶん成り立たない。これからは、生きるための最低限の生活を維持することが、重要になってくるだろう。

即ち、産業発展や社会の高度化といった目線よりも、気象現象などよって社会荒廃が起きることに対して、荒廃と戦うのではなく、ある程度それを認めつつも、質素に暮らす社会が求められる日が近づいているようにも感じる。


<減災より避難情報>

数年前までは減災という言葉を使っていたが、今となっては災難を減するのは難しい。災難は来る前提で、それが来たなら自分からそこを避けるための行動を取るしかない。後は、その逃げるための情報がギリギリになることもあるという点を忘れてはいけないということと、逃げられないことも今後は増えていくという覚悟もいるのかもしれない。

そして、だからこそインフラ系の企業が必ずしも安泰とは限らない。もうどこで何が起きるか分からない。ウィルス騒ぎもあれば、火山の噴火、大雨、地震、竜巻と20世紀の中盤以降には一時的なのか、たまたまなのか少なかった所々の災害が増えているのだから。
























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