猛威の隣で生きてきた 雲仙・普賢岳大火砕流から29年 …… あれは凄まじい映像として残っているが……その教訓は退化していく。

日本経済新聞社、共同通信47News、毎日新聞社の記事である。6月3日今日は、長崎県の雲仙普賢岳で起きた火砕流から29年目だそうだ。
もうそんなに時間が経ったのかと思う。これでは取材していた記者や消防団員も亡くなっている。噴火に伴って周りに作られていた溶岩ドームが崩落し、火砕流が発生したことで、43人が亡くなられた。

尚、このときにはまだ火砕流の本当の恐ろしさを実際にその場にいた消防団も、警察も、テレビ局や新聞社も本質は理解していなかった。

後から新聞社とかテレビ局が問題という話も出はしているが、たぶん批難している人も当時は知らなかっただろうし、実は専門家もこれほどの火砕流が起き巻き込まれることは想定してはいなかった人もいたぐらいの状況だった。ただ、危険性があるから批難を呼びかけていたそれだけだ。あの火砕流の煙に飲まれた瞬間に高温の蒸気に晒されるなんて知っている人が何人いたのか……1人もいなかった可能性の方が高い。

これが後の火砕流の恐ろしさを伝える内容になるとは誰も予想していなかった訳だ。後の検証はいくつも行われたが、前と後というのは今のSARS-CoV-2(コロナウィルス)にも通じるモノがある。批判する人は、前と後で一気に方向が変わってしまうのも未だ変わらない。それがあるから、教訓になる側面もあるが……。今は、それが上手く機能しなくなった。


以前も載せたかも知れないが、当時の映像は以下で見られる。
噴火に限ったことでは無いが、動く映像が直前まで残ったことで、この火砕流というものの速度や性質に関する研究も皮肉なことに進んだ。
今では、こんな撮影をすることはないだろう。





<人々は間違いを犯すモノだが……>

上記で大事な事は、噴火が怖いという話だけではない。これまでの災害全てに言えることだが人々は皆間違いを犯すことがあるという現実を突きつけてる。逃げ遅れるような状況で撮影を続けていたりとかそういうのも含めて、この映像は人の最悪を映しているのだ。

これは、その後の災害でも度々見られており、東日本大震災や大雨被害でも人々が増水する川や津波を近くで見ようとする様が映し出されたケースもある。そして、今回のコロナも同様に人々の過ちはいくつもあった。私自身にも過ちはあったと思っている。後に考え直したことは多い。

これに対して、どう対処していくか、これからにどう活かしていくかが求められるのがこれまでの災害での教訓となり、これからの社会で同じような事態が起きたときに役立つことになる。しかし、最近は外に対する単なる批難と批判だけで留まり、じゃあどのように考えて行くべきか、どのように対応すれば社会にとってプラスになるのかを述べる人は減っている。

当該の映像のコメントなどを見ても、マスコミがというコメントは多い。彼らは彼らでその当時、その後において対策を講じた。当時の反省すべき点は、今に組み込まれている訳で、実は当時の問題が今と全く同じラインにある訳では無い。少なくとも、当時の問題点は当時いろいろ議論され解消されたのだ。
今は今で別の問題がある訳だ。

そういう部分を考えて、問題点を整理し教訓として残していかねば、人は同じ間違いを平気で犯すようになるだろうし、むしろ間違った教訓を育てる可能性もある。


<今の社会でこれが起きた場合……上は責任を曖昧にし、個人の責任は強くなるだろう>

正直、まだあの頃は、こんな災害や病気の蔓延で政府が企業活動停止をむしろ奨励するという社会すら考えもしなかったが、責任と改善はしっかり出来ていた。しかし、今、責任を取ることと、責任を問うことの意味がどんどん曖昧になっているように見えてならない。責任を問うと言うことは、自分が批難批判するということで、自分も批難批判されるということにおいて等価の意味がある。即ち、真面目にやっていると本当に書きにくくなっていくし、主張の正しさでもいろいろ考え込んでしまうことが増えていく。自分で自分にも同じ言霊が働くのである。
即ち、自分が批難されるという意味で責任が生じる訳だ。

だからこそ、ただ批難してはいけない。どうすればよいか、こうすることがいけない(悪いことに繋がる)と思うから、やっちゃいけないといったしっかりした意見が求められ、慎重さが求められる訳だ。

しかし、今はそれがいろいろ壊れている。上は責任を取らず下に押しつけ、下が死んでしまっても、きっと上は逃げるだろう。それがたまたま世間も漏れれば、死ぬまで叩かれる上の人間がいるかもしれない。そして、死んだ途端に今度は、誹謗中傷し叩いた人が……を繰り返す。最近はSNSの誹謗中傷問題もあるが、あれはアカウントを消せば逃げられるという発想があるから出来ることだ。アカウントを残してごめんなさいをいう事がどれほど勇気がいるかを、知らないから安易にそれが出来る。それを社会は悪い形(ただ削除したものが逃げ得になる形)で許しているのだ。

本当はそこではなく、削除しなくても良いから、間違いでしたごめんなさい、打ち消し線を引いて自分はこんな愚かでしたと示した方が、その後の本人にとっても、相手の名誉を回復する過程においても、プラスになる。しかし、それをしないで安易に消せる消せないに進んだ。

そうやって、今社会は狂ってしまった。
間違った情報は消されるため、それで覚えた人は、誤った情報を前提にずっと語り続けるようになるからだ。そうして、人々は今に至る。


これは、情報媒体の変化も影響しているのだろう。たぶん、人々の情緒がコミュニティツールについて行けていないのだ。
時代は昔とは変わり、誰でも情報発信が出来る時代になり、情報をSNSなどで軽く共有出来る時代になった。
SNSの台頭には短文コミュニティをより社会に広げることにもなった。しかし、それ故に軽い感情がダイレクトに伝わる時代の難しさに世界は翻弄される。そこに、教訓の劣化を促進する要素が隠れているのかも知れない。何せ、感情で連ねるだけになれば、人は、全体の文章を読み解く力より、誰かに同意する力しか持たなくなるのだから。ネットなどで目に見える多数が本当に多数だと思う人も出てくる。

もし、今、普賢岳のような噴火が人の多い場所で起きたら、この教訓は活きるのだろうか?何となくだが、報道側は距離を置いて撮影するが、一部の一般人がそれを犯して撮影し、多くの犠牲者を出すような気もするし、行政や政府も上手に対応しきらず……責任問題の所在を曖昧にすることに終始するのだろう。

そうならないために、我々はこういう災害の追悼や慰霊の都度、その事実を見て黙祷し、今や当時の状況を考えことを止めてはいけない。




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