Microsoft、煮ても焼いても喪失しない石英ガラスデータ記録技術……スーパーマン時代は来ないかも……そして私はスッパマン派

PC Watchの記事である。これは、日立などが以前開発していたholographic Discの概念だろう。まあ、ディスク産業が儲からなくなったので、既に次世代開発は凍結されているが、10TB~100TBの容量を、毎秒1~2GB以上の速度で書き込めるようになれば、戻ってくるかも知れない。


<長期記録を売りにする光学媒体は売れない法則>

光学メディアはカーボネート素材(プラ)を原料にしているため、なかなか割れないのだが、ガラスは例え強化ガラスでも先端が尖った(先端の表面積が狭い)もので軽く叩けば簡単に割れる(蜘蛛の巣状の罅が入る)ものである。だから、実はガラスディスクデバイスは、商用で使うにはあまり向いていないとされる。

また、この手の多層ホログラフィックディスクは、読み書きが遅いことでも知られている。まあ、2K~8Kぐらいの映像までならたぶん問題なく扱える程度にはなっているだろうが、見る限りvoxel処理で多層にわたって記録すると、結構遅延(latency)があり待たされそうな仕組みである。これが、光学メディア市場が廃れてしまった原因でもある。

まあ、1000年保存というのは、業界によっては魅力的なケースもあるだろうが、Write Once Read Many(WORM/ライトワンスリードメニー)のメディアってのはどうなのかという点でも気になる点だ。正直な話、1000年後も人類が今の科学力を持っているなら、この媒体が無くても、データは蓄積を続け、1000年前のアーカイブも大学や国立図書館などで閲覧出来る状態にあるだろう。

しかし、もし1000年後までにデータが断絶するような時代が来れば、たぶん真っ先に読み取れなくなるのは、この手の新世代媒体である。
何故なら、技術的に複雑な媒体だからだ。逆に、残るのは紙媒体だろう。何故なら、手元に挿絵(写真)や文字列として存在し、読めば内容が分かるからだ。

だから、研究や発表の場で使うにはよいが、商業的にはなかなか普及するものでもない。

実際に、長期記録と大容量を売りにしたデジタル媒体は、GIGAMO MOやPD、DVD-RAM、MDなど発展する未来も有り得た媒体で、尽く失敗している。今も、DVD/BD媒体の中で長期記録が出来るとするM DISCなどの光学メディアもあるが、使う人は限られている。

これらの媒体の欠点はいくつもあるが、一番大きいのはその時は永久に必要と思っても、実際には10年も必要としないということにある。
長い間録り溜めても、見るのは最初の数ヶ月~数年で10年も経過すれば、殆ど見なくなる。30年後ぐらいに懐かしくて見ることはあるが、レンタル等で借りた方が保管コストを考えると安いかも知れない。自叙伝(日記)などの自分にしか生み出せない何かなら確かに、生涯保存する価値はあるが、その先に残すべきかというと、別に興味を持ってくれる人が居ない限り、残す必要もない。

歴史資料として遠い未来に価値があるとしても、それが果たして自分の望むような価値とは限らない。本当に自分が望まない形になっているかも知れないからだ。これは企業や組織でも同じで、その時には大事なデータでも、実は時間が経過すると必要性が失われる物は多い。時代背景が変わり、技術が変わると、そのデータを元に処理すること自体が、今の社会情勢に合わないことも増えてくるため、データの入れ替えも必要になるかもしれない。

そうやって見ていくと、歴史的にとても貴重なものならともかく、そうでなければ要らないということになる。
だから、極めて長期に保存できる媒体は、なかなか流行らない。


企業でも、容量と速度後は維持費の安さが重要であり、長く一つの媒体で保存できることを求めて居る人は少ない。長く保存できる媒体でも、読み書きが出来る装置が長期的に販売されなくなれば、貴重なデータを取り出せなくなるからだ。いっそ、大事ならば目に見える形で保存した方が貴重な品になる。フィルムなどの方が実は劣化度合いなども分かるので、長く保存され貴重だと思われることも多い。


<保存され愛されるデータ>

若い人だとたぶん思わないかもしれないが、昔はデータ記録そのものが殆ど出来なかった。
例えば、今はドライブレコーダーというカメラが車の中に搭載されて録画出来る訳だが、10年前20年前に遡るとそんなカメラどころか、デジカメでさえも持ち手は少なかったはずだ。

20年前なら携帯カメラがやっと普及する前である。今は、InstagramやYoutube、TikTokに何気ない動画が溢れている。そういう何気ない日常がデータとして残る世の中では、本当にデータとして残したいと思うものは生まれにくい。その昔の映画などが保存すべきと言われるのは、それが貴重なエンターテインメントだったからだ。しかし、今映画もテレビも音楽も溢れる中では、昔見た何かと同じようなコンテンツも結構あるわけで、それを見てこれは凄い残すべきと思う人が増えるかというと、そうとは限らない。

まあ、はっきり言ってしまうと、データなど今ではありふれており、実はそんなに残したいと思うデータはないはずなのだ。無くなると困るが、ないならないで何とかなるデータは意外に多いものだ。
そして、データというのはある程度、時代の経過と共に消えてしまい歴史に埋もれた方がよい。そうすると、100年か200年経過した後に、それを新しいこととして思いついた人が、新しいイノベーション(革新)として市場で評価されるだろう。逆に言えば、今全てが保存されてしまう社会は、社会を閉塞(模倣でつまらないと誰もが思うような世の中)に向かわせていると言えるのかも知れない。


上記は、極端な話だが、本当に伝えたいのはここからだ。

長く沢山データが残るよりも、適度に必要と思うデータを皆が世代を超えて修復しながら残していく方が、実は貴重なものになる。
最近では、世界遺産の話などがそうだ。本来は目に見える形としてそれがあり、徐々に風化していくからこそ、残したくなるような物が、貴重なデータ(資料)となる。特に世代を追って残されるものが大事だと言われるものになる。

しかし、例えばただのガラスの中に、1000年保存できるデータとして保存されているのですとそれを示されたらどうだろうか?
たいていの人は、じゃあ何もしなくても大事なデータは残るのかと思うだろう。そうすると、次の世代には大事なデータとしては引き継がれないかも知れない。これ何よ?と聞かれてやっと、何か1000年保存できるディスクで大事なデータが入っているらしいからという話になるだろう。その中身が何なのかも分からないはずだ。

最近、先祖が残した開かずの金庫に何が入っているかというのも、番組などで取り上げられることが増えたがそれは、その一つの例である。これらは、形として残っているからこそ、興味を持たれるが、もしそれがガラス片だったなら、ゴミに捨てられるかも知れない。

そうならないためには、やはりある程度消える可能性があるものを、大事にその時代に合わせて受け継ぎ、必要なら新しい媒体に移行していくことが求められるだろう。それをしてこそ、実は本当に喪失しにくい(しないとは言えない)データになると私は思うのである。


まあ、早い話1000年も保存出来る必要は無いってことだ。せいぜい個人で何かを作る人生が20歳~70歳ぐらいとして、50年ぐらいもつ媒体があれば、それで大抵の人は十分だろうし、社会としても必要性を考えるなら、そのぐらいのサイクルでデータを見直すぐらいのサイクルが好ましいだろう。



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