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zoom RSS 古い物と比べないと、差が見えにくい新製品と、失いつつあるワクワクの話。

<<   作成日時 : 2019/04/11 12:12   >>

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ケータイWatchの記事である。コラムレビューで、Galaxy SとS10の写真に関する差が掲載されていた。

個人的には、最近のスマホは縁狭くなることで、左手操作にしても、右手操作にしても、片手で操作する時に、親指の付け根が、ディスプレイの下左右端に当たってタップ扱いになるのが、とても気に入らない。

両手で使うことも増えたが、ちょっとした操作だと、片手で使うことも多い。特に意識する余裕がなく急いでいるときに限ってそうなるから、ビジネススマホなどとして考えると初代とは言わないが、5年6年前までの縁が広いスマホは良かったなと思う。ただ、今更出して売れるとも思えないが……。
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/minna/1179402.html


しかし、こういう記事だとぱっと見て差が分かるが、最近のスマホ同士の比較はとても難しい。
MWCの時に比較表の記事を書いた際にも個々で愚痴ったが、とにかくスペック上の差はどの機種もあまりなく、ディスプレイもその時の流行みたいな物が、選ばれ、縦長に進むだけとか、カメラが増えるだけ見たいなノリで、後はカメラの写りがちょっと良くなった、悪くなった、このシーンで良好、いやいやこれはあと一歩みたいな、凄く調べ抜いてやっと、1つ2つの差が見つかるレベルである。

昔は良かった。何せ、メモリー容量が少し違うだけで、速度が存分に変わったし、ディスプレイの種類が低温ポリシリコンから、低温CGシリコン、CGシリコンメモリー液晶、IGZOと変わっていくだけで同じディスプレイサイズならバッテリーの持続時間も変わった。

CPUが2コアから4コアになれば劇的に性能も上がったし、1年経てばグラフィックス性能は数倍に増した時もあった。

それに伴い、コンテンツも新たなステージへと躍進し、古いスマホでは出来ないことが、新しいスマホで出来るようになった。

因みに、今は逆で古いスマホで出来ていたことの一部は、使われる事が少ないなら、新しいスマホには搭載されない時代である。コスト削減とか、デザイン性重視の結果である。買い換えサイクルが伸びているため、いわゆる先進機能を常に追い求める人は、古い機能が捨てられたものを望む。そのため、買替え頻度は低いが、それなりに多くの人がいる一般層の望む人より、いわゆる良く分からない進化と称する退化をするスマホを望む人の要求に沿う物が作られるようになる。

これが、いわゆる大半の大衆消費者と開発者や先進的製品を望むマニアの目指すものの乖離によって起きる衰退(販売減)である。


ただ、昔ならそれも止めようがあったが、今は機械生産と部品の共通化によるコスト削減が進んでいるので、1度それで形が出来ると、全体がそうなり止められない。しかも、価格にも跳ね返るから、拘りがない人間は、無理に求める機能を望むこともないから、尚のことである。その結果、どれも似たり寄ったりが進み、差はより小さくなるのだろう。


<年間14億台でも、中身は大して変わらない>

面白いのは、スマホのラインナップだ。日本では販売されていないブランドが沢山あるため、日本の数で考えてはいけないが、実は14億台も年間に出ているのに、世界で年間に新規開発されるスマホの種類は、200種もないだろう。まあ、地域によってブランド名を変えたり、OEM先を変えたモデルまで合わせればそれを超えるかも知れないが、そんなにベースモデルは多くない。

実は、2003年頃なら日本だけでも、年間に40から50機種ぐらい新機種が出ていた。春夏秋冬に発表会があったからだ。各キャリア(3つのキャリア)で、それぞれにあり、国内メーカーだけで常に〜7社程度が年に1機種以上4機種未満を発表していた。平均2機種×7社×3キャリアだとして、42機種である。これらは、SoCでさえも、機種によって異なるケースが多かった。

まあ、これはパソコンやテレビを見てもそうだ。当時は、恐ろしい数のラインナップが、国内はもちろん海外メーカーからも出ていた。バリエーションをそんなに出すのかというほど凄かった。しかし、今はBTO販売もあるので、ベースモデルを統一しているケースが多く、店頭向けは僅かな機種しかない。

時代は複数のバリエーション筐体より、一つの筐体で、何にでも出来るものを求める時代である。

それが、同じメーカーはもちろん、他社で比較しても差を減らして行く。中身のハードは概ね一緒で、違うのはソフトのチューニングという製品は今では当たり前だ。


しかし、買う側から見ると、差が見えにくくなるので、買い換えようという意欲は下がる。そういうときに、効果を発揮するのは古い機種との比較記事と言われる。


それでも、私自身は徐々にスマホから興味を失いつつある。結局のところ、私の中ではスマホの性能が幾ら上がっても、故障やバッテリー消耗で買替えが必要となるか、そのスマホでの通信通話サービスが終わるか、よほどこれを使いたいと思う機能が生まれて、且つそれが今のスマホで出来ない場合を除けば、買い換えることはないだろう。


所詮スマホが出来ることは限られる。プログラミングなどもやろと思えば出来るが、パソコンの方が生産性は高い。動画編集ツールもあるが、PCでやった方が応用範囲や出来ることは多い。だれでもそれなりに使えるが、出来ることもそれなりであり、一部は自動ツールが行ってしまい。似たり寄ったりになる。

考えて見ると、スマホの限界はそこなのだろう。確かにカジュアル化という点で特別な設定をしなくても、困らないものを生み出すのがスマホであり、そうなるように進化してきた。しかし、その結果、好ましい物の方向性は常に一方行に近づいていく、すると個性的からはほど遠くなる。

要は、個性というのは誰かにとって、こうあれば良いのにという拘りであり、拘りというのはたいていの場合、アナログでマニュアルなものだ。そう、写真を撮ったときにもっと色味はこうあるべきだと思うこと、それが個性であり、拘りである。完成され、AIや自動化というものに目を向け続けるスマホでは既にそれを生み出しにくいのだ。


だから、私はスマホに対して以前ほど魅力を感じないようだ。


<人は何か複雑なことを成したときに楽しさを感じる>


私の中では、自動化するコード等を書いていると、とても楽しいが、じゃあ自動化したコードが完成した後、達成感を喜んで後、それからずっと使って楽しいと感じるかというと、最初に自動化出来たときには嬉しいが、次期に楽しくなくなることもある。速さが幾らましても、それを作るまでが楽しいとか、暇な時なら一つ一つ手順を踏んで細かく調整してやって行く方が、何か楽しいと思えると言うわけだ。

何が言いたいのかというと、我々は実は社会にとってよりよい物、楽しいこと、凄い物を作り、使っているつもりになっているが、実はそうでもないんじゃないかと、最近思う。まあ、選択肢としてどちらもあるなら、気分で決めればよいが、最近は使う回数が少ないだろうからと、気分で決められない機能も増えているからだ。


それを、スマホがどれも同じ方向に進んでいる現実に重ねると自ずと、魅力を失っている理由が分かってきた。スマホはデジタル化と自動化が進みすぎているのだと。

何かを売るなら、あえてアナログな部分を残したり、使う人がどうするか決めないと出来ないことを残すことが大事なのではないだろうか?実は、その方が人にしか出来ない。その人にしか出来ないオンリーワンの何かを生み出すことが出来る可能性が増すからだ。


人々は、確かに一定の水準までは、自動化や高性能化を評価する。しかし、製品が一定の水準に達した時、それより上の新機能、自動化というのを人々が、喜んで選ぶとは限らない。その差が見えなくなるからだ。

その時に求められるのは、むしろ製品を自分で操作している。自分で何か人とは違うもの、違う設定で動かしているといったオンリーワンの発想だ。ワクワクするというのは実は、そんな逆転の発想かも知れないと思うのである。






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