阪神・淡路大震災ももう過去の話で教科書の話……あれから24年

もう24年が経過するのかと、年々早く過ぎ去る時の流れに驚く。そして、時は無情にも経験者や当時の自身映像を生身で見た人々をこの世から減らして行く。これが、歴史になっていくということであり、風化でもある。風化するからこそ、新しい社会(営み)が生まれることもある。

ちなみに、私が住む場所でも、当時震度3か4ほどの有感地震を感じ、起きたのを覚えている。あの頃は、西日本でそれほど大きな地震はなかったので、感じることが出来た。まあ、私は当時6時には起きていたので、目覚める直前だったのだが……

尚この地震では、6400人を超える犠牲者がでた。そして、神戸市東灘区や灘区では大火災が発生し、多くの人が亡くなった。実は、死者の中にはこの火災によって亡くなった人も多かったと後に分かっている。家屋や家屋内の家具が倒壊し、その下敷きになって逃げられず、その後の火災の煙や熱で死んでしまった人も多かったのだ。これは、早朝5時台と既に早い人なら、朝の支度をしている人がいて火を使っている人も多かったからだとされる。晴天だから助かった人もいるだろうが、このときに関しては、雨が降っていた方が、もしかすると助かった人が多かったのかもしれない。


今でも、この時期になるとそういう話が出てくるほどに、それは生々しい話であるが、24年も経過すると、今30歳を過ぎていないとそんなことは生まれる前か、よほど小さい頃の話であり、現実味はないだろう。東日本大震災の津波の方がきっと恐ろしいはずだ。

ただ、実際に、大地震で避難の最初に自分を阻む可能性があるのは、住宅や家具の倒壊であるとされる。防災バッグを用意するならまずは、家具を固定して倒れたり落ちたりしないようにしなければ、逃げることも防災バッグを使うことも出来ないという訳だ。


<24年経過すれば震災の記憶を持たない人が増える>

24年経過すれば記憶は薄れるというが、正しくは記憶が薄れるよりも、記憶を持たない人が増えるという状況が生まれる。まあ、東日本大震災では、震災遺構を残すか残さないかが、最初の数年議論され、その最初の数年で大半が撤去された。遺族から見ると苦しいからだ。

しかし、今になると今度は、それが間違いだったのではないかとか、思う人も出てきている。あれだけの災害だから誰しも経験した人は決して忘れない。そして、家族を亡くしてしまった人、次代を失った人は、当時は辛くて忘れたく、見たくも無いものだ。

ただ、それが消えたあと暫く経ってから、多くの人はこう思うのだ。その話を出来る人が減っていき、その話をしようにも、そのための痕跡が消えて行くと、真実味は減って行く。広島が原爆ドームを残していたことで、そこが原爆の象徴になり、被爆者の平和への祈りの象徴になったように、次代のために1つでも可能な限り大きな爪痕を残しておかなければ、必ずその教訓は消えて行く。例え、人づての言い伝えでも、徐々に曲がってしまうことはあるのだ。

それが、24年も経過すれば徐々に明らかになってくるのが、今日のNHKなどの放送からヒシヒシと伝わってきた。


<災害は忘れた頃にやってくる>

同じ断層で同じ規模の地震がくることは、たぶん我々が生きている間にはないと私は思っている。もちろん、その周辺の他の場所で大きな地震が来る可能性は否定できず、我々が生きる今の世で、巨大地震があの場所に再び来ないとは断言できない。

ただ、全く同じ物は我々の生きる時間ではこないだろう。来てもずっと先だ。次に来た時に、人類がまだいてそこに、神戸市があり、誰もそれを知らず、また何千人と亡くなるようなことはあってはいけないが、あり得ることだ。

それを少しでも減らすには、24年前のことを後生に残し続けることである。これは、まだ大震災から10年と経過していない東日本大震災等でもいえることだが、ただ歴史の教科書にのってへーこんなことがあったのか~で終わる世の中にはしてはいけない。多くの人が助かるよう行動できる教訓を社会に広げることが大事だ。



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