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zoom RSS 線路に下りて物探す?京浜東北線にはねられ死亡……線路上の落とし物は駅員へ伝えよう。

<<   作成日時 : 2018/10/11 09:21   >>

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読売新聞の記事である。何故線路に降りたのかは分からないが、落とし物だとしても、やってはいけない行為である。
しかも、ホーム下の避難帯に入らずに、よじ登ろうとすればどうなるか……というのを身をもって示してしまった訳で、残念である。こういうことが他で起きないことを祈りたい。
亡くなられた方の、ご冥福をお祈りする。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20181010-OYT1T50098.html?from=ytop_main6

ただ、これから親族は大変かも知れない。

<鉄道遅延の尻拭いは大変>

大事なものを落として事故にあったとしても、それが例えば数十億ぐらいの価値があるなら別として、自分で飛び降りて回収し、誤って死んで仕舞い鉄道を遅延させた場合、下手をすれば鉄道会社から親族(同居する親族とは限らない)に相応の遅延賠償請求が来ることがある。

亡くなったから、その命で償ったという訳にはいかず、代理となる人に民事請求が可能なのだ。ただし、訴訟になることは殆ど無い。たいていは、遺族または親族が払える範囲または相続の上限程度で処理されると思われる。だから、訴訟にならずにそっと解決されるわけだ。

だから、絶対に鉄道軌道への飛び込みはしてはいけない。


<それでも起きるのは……>

とはいっても、実は平時ならこういう当たり前の判断ができる訳だが、人によってはカッとなったときや、何かに動揺したときに頭より体が動いてしまう人も沢山いる。また、精神疾患や認知機能障害があると、小さな子供のように目先の状況にしか意識が向かなくなる病気や精神症状もある。だから、この手の事故は実は数年に一度は出てくる。


特に、この手の行動は特殊詐欺に騙されてしまう人が自分は騙されないと思っているケースに似ていて、日頃からこういうことに慎重そうな人が填まるケースも多いとされる。

何故なのかというと、元々慎重な人というのは、裏を返せばあたふたする経験をしたくないから、慎重なのだ。計算に計算を重ねてこのときは、こうしよう。もしああなったらこうだと、分岐点と判断のポイントを自分の中で決めている。しかし、その分岐点や判断ポイントが突如失われるような異常事態になると、思考が止まってしまう訳だ。

その時に、例えば電車がまもなくホームに来るのが見える。大事な大事なあれが線路に落ちた。次の電車に乗らないと、何かに遅刻するといった状況が重なった場合、線路に飛び込んでいるなんてことになることはあり得る。

実際には、急ぎなら車掌や降りる駅の駅員さんなどに状況を伝えてお願いし、回収して貰っておくのも手なのだが、そういう考え方を予め持っていなければ、結果的に危険な状況に突っ込んでしまう訳だ。


<運次第の反射行動は減らすべき>

これらは、直感的な反射運動である。理屈で机上で、または頭で考えれば誰もがあり得ないと思う行動でも、例えば何かに焦っている。追われている状況において、冷静な判断ができるとは限らない。

いやむしろ、自分にとって一大事なら、自分の中での過去の成功例と、現状の判断を合成しもっと短絡的な決断を下すことの方が多い。

端的に言えば、とっても時間に追われ、あれもこれもそれもやらなきゃと思っている状況で、いつも携帯電話を持っている利き腕に、ヘアスプレーを持っていた場合、携帯が鳴り利き腕とは逆の手でそれを掴むまでした後に、頭の中では次の作業タスク(例えば時間は大丈夫かなとか)を考えると、ヘアスプレーにもしもしと話しかけることになるケースもあるだろう。

これが、過去の経験からみちびき出される成功(刷り込み)による判断ミスだ。まあ、一度これをやって恥ずかしいとか、痛いとかそういう経験をすると、携帯の通話を押して耳に当てるまで、頭の中でのタスク切り替えはせず、通話を始めてから話ながら、聞きながら合間合間で別のことを考えるだろう。

これを減らすにはどうすれば良いかというと、自分はそうはならないと考えるのではなく、実は自分がその状況になるとしたらどんなときかを、考えることである。危険予知や予測のトレーニング、現場認識におけるリスク対応トレーニングで行われる手法である。


自動車のアクセルとブレーキの踏み間違い問題もそうだが、僕は私はブレーキとアクセルを踏み間違えないという人は、踏み間違えたときに最初に思うのは、ブレーキが効かないと思うだけだ。それは、最初から自分は間違えないように意識していると思っているからだ。
だから、ブレーキと思っているアクセルを強く踏み込む。すると、加速する。では、間違えたと思ったとして一度足を上げて、動かし、もう一回踏み込んだけど、加速した場合……それは、アクセルとブレーキの踏み間違いだろうか、それともブレーキが効かなかったのだろうか?

これも大抵は、踏み間違いである。2度目の時点で間に合うかは別として、まだ間に合うなら、次にやるべきは右足の踏み込みを弱めて、左足でブレーキを探すことかもしれないし、他の制動装置(エンジンブレーキや停止は難しいだろうが、パーキングブレーキ)を使うという手もある。そこまで考えたことがある人や、踏み間違えそうになったことがある人は、いざという時にはその判断を無意識の中に加えることもできるようになる可能性が高い。

あり得ないというのが、既にあり得ない訳だ。亡くなった人に聞くことはできないが、その時はそれで上手く行くと思っていたが、冷静に考えると、何故そんな判断をしたのか分からないという発言をする人は結構いるものだ。


<日常を変える突然>

多くの人は、平時にはあり得ない可能性は無意識に排除する。そして、それをシミュレーションしない。だから、異常事態に入った時に、結局自分も同じドツボに填まる。それが、人が死んだり、苦しんだりする話でなければ、自分だけが恥ずかしいとか、周りがヒヤッとするとかそれで済むが、今回のホームから降りて軌道上立ち入りのようなケースに見られるパターンだと、自分はやらないと思う人の方がきっと多くなる。

それが、結果的に何年かに一度の事故や事件を生む。
本来は、「自分は起こさない。」ではなく自分がもしかしたら起こすかも知れない心理状態や状況を探ることと、もしそれをやって、最悪が襲ったときに自分だけではなくどこまで被害が広がるかを、しっかり考えて置く必要があるかもしれない。

まあ、命があれば無くした物を探すことはできる。購入できる商品ならお金を貯めた買えば良い。
流石に写真などの思い出だと、ネガなどがなければ難しいが、それでも生きていれば思い出は頭の中にあるだろう。死ねば終わりだ。

ただ、そう思える平和な日常と、自分の中でパニックや直感的な反射にでるような咄嗟の状況というのは決して同じ判断力の中にある訳では無い。むしろ、同じ判断力の中にないほど何かに追われていたりするからこそ、人は判断を誤るのである。

こういう記事から、考えなければいけないのは、いざという時に、冷静な判断を、忘れてはいけないということと、冷静な時にこそ、その人が明らかに間違った判断をした心理状態や状況を、考えることだろう。











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