岩手中2自殺:多数生徒いじめ目撃「髪つかまれ机に強打」・・・悲しいメディア

学校も調査を始めたようだ。前回は最後は親が守るのだと書いた。

今回は、教師と学校の問題を書きたい。

警察が先に公開したノートの話から、今度は実体へと推移している。後から、ばらばら出ているが、これは学校そのものに闇がありそうだ。
http://mainichi.jp/select/news/20150709k0000e040263000c.html

<学校が悪いのか、担任が悪いのか・・・>

よく分からないが、個人的にはこれについては個人への押しつけを感じる。いや、確かに担任を許せるかというと、許せない。しかし、担任はミスが一切犯せなくなるが、良いのかという考えも浮かぶ。ニュアンスが微妙で闇が隠れている場合もあるし、副担任などが聞いてくれないかもしれない。しかし、この手の報道では、本当の内部状況は分からず担任の責任になる恐れはあるのだ。

どちらかというと、報道の方向性によって担任のせいにも、学校のせいにもなるだろう。私個人としては、一番悪いのは、13~14才にもなって虐めた当人である。少年法でもよい証拠を見つけて、捕まえるべきだろうし、しかるべき対処をするべきである。

次に、先生だが本当に担任だけの責任でしっぽを切って良いのか、報道側は考えた方が良いだろう。
担任の学校における仕事は増加傾向にあると言われる。教頭などもその仕事が増えていると言うが、担任は圧倒的に負担が増えていると言われるのだ。そこで、担任が能力不足でというと、来年から初めて担任の先生になっても、失敗は一つも許されないということになるだろう。

自分で全て考えて、副主任や主任と相談するか、職員会議に掛けるかを決めなさいよと・・・。

学校によっては相談さえも出来ない閉塞された場所かもしれない。それを、考える余裕がどの程度当人にあったのかは重要なことであるが、当人だけが悪いのかを外から測るのは実は難しい。これは学校に限らないが、どこにでも政治が関与することがあるからだ。

実は、この虐め等の対応の仕方は、企業の法令遵守担当や労務担当などの仕事に似ているのだ。


<本当に担任は、誰にも相談しなかったなら、周りは何をしていたのか?>

世の中では、最後まで自分で頑張ろうとする人はたくさんいる。責任感が強い人や、何度かそういう経験がある人は、時に判断ミスをするものである。

たとえば、10年仕事をしていて、経験上このケースでは事件にもならなかったことを、10年後に問題だと気がつくだろうか?人には経験則による楽観視がある。それを、世間では想定外というのだが、もし担任が長年それをしていた人で、実はたまたま問題が起きていなかったなら、今日問題が露呈することは確率論だけの問題で、あることだ。

また、初任地で初めての仕事において、これは今はまだ大丈夫と思っていたことが、実は大問題だったというケースは決してゼロではない。(私は人の命には関わらないが実は両方ある)ただ、皆がこういう経験を仕事上で1度は必ずする訳では無い。要は、職種によっては全くしないケースもあるし、経験しても人の命に関わること(仕事)は希である。


しかし、これがコンプライアンス(法令遵守)や、労務などの管理になると変わってくる。とても、深刻な話をしてきて、病気の診断をうけ、最終的に仕事が出来なく人もいるのだ。大丈夫大丈夫といっていても、ダメになる人もいる。

こういう場では、一人で面談をしない。必ず面談内容を記録する。面談やメンタル情報などの内容は、必ず責任者と担当者で管理するということが必要になる。その上で、2名がさらに上の確認を必要とすると判断したら、積極的に周りと情報を密にして、共有する姿勢が重要なのである。

一般に、定期的なこういうメンタル報告書をつくる組織は、いくつかの人の目を通すことで、間違いの少ない状況と責任の分散による組織全体の担保を築く。こうすることで、もし見落としがあっても、一人の責任にはなり難いのである。(まあ、それでも上に立てば責任を被らなければいけないケースはある)

特に、虐めに関するもの、コンプライアンスなどに関するものは、一人の責任者対応とは別に必ずもう一人が、毎回ではなくとも定期的にチェックする姿勢が必要なのだ。

そこが出来ておらず、しっぽ切りをしている時点で、既に学校組織に問題があるのであり、担任だけの問題ではないことが分かる。場合によっては、担任がメンタル問題で最後には再起不能でということもある。学校は、しっぽを切っているので何も変わらず、次の再起不能が今後もばらばらと出るだろう。

結果的に人不足や、質の低下を招く。


<一番悪いのは、虐めた者、次に悪いのは組織としての学校>

本来は、次に事件が起きないためにどうするかである。
その原点は、事件に至らないために、いじめを止めて早めに和解に向かわせることである。
それには、情報の共有が必須であり、担任がすべきことと全体または数名のグループで取り組むことを明確にしなければいけない。そして、何より社会が大きな問題にするようなことは、一人の責任にすることが問題なのだという意識を持たないといけない。

一般に担任は、日頃の生活指導と教育などクラスを指導し纏める役割を持つ。ただし、あくまで中学校以上の担任は、幼稚園や小学校の低学年とは違い、纏める役割は補助的な部分のみになる。

その中で、日常の生活と非日常の問題をどう切り分けるかが重要である。
たとえば、今年になって問題が発覚したが、実は昨年の別担任の頃からもし問題があり、今年になって自殺したなら・・・・。この担任だけの問題で許せるかという話になる。


そこまで、裏が取れるかは分からないが、正直な話、今の報道姿勢だと根本解決には至らない。


<ただのしっぽ切りに乗っかるメディアの浅はかさ>

先生が対応しなかったことに対して、一人だけの責任として見ているなら、世間の判断も不味い。実際には、その先生は相談者がいて、相談していた先生が、私は聞いていないと言えば、その先生は逃げることも出来る。

もし、担任があまり他の先生に相談しないタイプなら、きっと相談した先生がいたとしても、本人は誰に相談したとは、言わないだろう。それは、逃げになるし下手に言えば、学校や本人も傷つくことになる。

また、相談しなかったことが全て問題なら、全てを会議に掛けなければいけなくなるかもしれない。それは、小さな対応が必要なことでも、大きな問題するという時間の浪費である。これが、進みすぎると再び、会議が減るという結果になるだろう。即ち、効率性の欠如に繋がる。

本来は、組織としての問題だったのであり、個人だけが全て責められる話ではないのである。

これは、他の企業や学校生活でも言えることだ。そして、いじめの原因でもある。
簡単に言えば、組織の仕組みとしての問題点を、個人が自主的に伝えなかったことに置き換えたのである。

誰だってミスや誤認、重大性欠如はあるのだ。ただ、それが起きてはいけない部分もある。そこに絶対的な判断ミスや見逃し、周りの環境差による風通しの悪さによって、見落とすことがあってはいけない。そして何より、人の命に関するものなら、一人が見て判断し続ける状況は決してあってはいけない。それをすると、常にピリピリと意識する人が必要となるだろう。

仕組みとして何名かで情報を共有し担保し合う姿勢が必要である。


<現実主義者様>

コメントありがとうございます。この記事にご気分を害されたようで、それについてはBlog運営の参考にさせていただきます。また、気分を害する内容があったことについては、謝罪させていただきます。

それでも、記事を撤回することはございませんので(あくまでそのとき記事として流れた情報をベースにしていますので)、ご理解いただければと思います。

こういった内容を書くと、余計に憤慨されるかも知れませんが、コメントについて私の気持ち(意見)を書かせていただきます。出来れば最後まで読んでいただけるとうれしい限りですが、長いので途中で切られても構いません。

気持ちが、わかるかわからないかだけで言えば、私が理解出来る可能性が高いのは、現実に知り合った人の、表層の気持ちです。ただ、文面でも今回のように・・・考えはします。よほど攻撃的でなければ、相手と嫌な関係で終わりたいとは思わないですから。

奥底(深層意識)まで理解しろというなら、申し訳ありませんが不可能です。即ち、表裏が逆ならまんまと騙されることもあります。また、表層でも、そのときの心が、10年後も同じとは限りませんので・・・それで拗れることもある。

私も裏切られたことはありますし、人付き合いや立場の差による難しさ、下の立場の大変さも知っています。私は、職場でも教員ではありませんが、教育もしていたことはありましたから・・・。私の陰で、私と真逆の意見を持つ人が、どんな画策をしていたか・・・陰口やいやがらせもあるものです。面接でしっかりした人が、実は裏では・・・ということも。相手弁護士の前で、会社側という立場で、相手法人から勤務上の損害について・・・。私は、底辺から上がったたたき上げの人間です。上司や法務と話しても、当初はそっちで何とか・・・。直属の担当者ではないのに、それを動かすまでどれだけ苦労したか。

これが、私の現実世界です。ここはあくまで、私が経験したことを元に、こうしたらより良い社会になるだろうという理想を書いているのです。その範囲は、私の知る範囲、聞く範囲、みる範囲でしかありません。それは、私自身にとっても残念なことです。もっと知りたい部分もあります。ただ、時は有限ですし、体も有限です。生活(稼ぐ食べるなどの活動)も考えると、知ることばかりに時間は割けません。覚えられることにも限界がある。


私にしか分からない苦労もあるのですよ。どの世代の誰にだって苦労はありますよ。分かって貰えないことは・・・。現実主義者様はどういう一端でこのコメントを書かれたのか、それは追求しませんが、人を理解するというのは、その人がどんな生活をしてきたかを理解することでもあります。そこには、自分が予想もしない壮絶な話があるかもしれません。それと、記事は別物です。それを一緒に考えてしまうと、きっと社会ではより苦痛を味わうことになるかもしれません。

もし、今、現実主義者様が学生さんなら、今の学生さんがどう大変かは正確には理解出来ていません。先生やメディア側の人であっても、同様で、私がその立場になって知っているわけではありません。


それから、「被害者寄りの意見述べたら反感やら嘲りやらねじ伏せやらの標的」ということですが、今の社会では被害者寄りでも加害者寄りでも意見は言えるということにかわりはありません。71年前なら、きっと大日本帝国の大東亜戦争を否定して、お国に見つかれば特高に捕まり、拷問だったことでしょう。世間からはどう思われたか?
そんな時代もあったのです。それは、関係ない話と思うかもしれませんが、私はそういう発想からここに書いています。叩かれても、法的に拘束されない内容であると思う事を書いています。

その意見がもし人の心に届くものなら、人は評価してくれます。届かないなら批判されます。それは、この私が書いているBlogでも同じことです。そして、それは誰だって悪く考えれば怖いことです。私にだって書くことに悩んでいる記事や悩んで掲載した記事はあります。

今ネットで叩かれる朝日新聞社や、政府寄りだと言われる産経新聞社も、世間の評判や企業や政府の評判は恐れている面はあるでしょう。特にスポンサーがそっぽを向くと大変ですから。世間から干される可能性は、いつ何時(なんどき)にもあるのです。後は、潰される可能性を考えても、価値があると思うか?それとも、潰される可能性が怖いから何もしないか・・・書く内容をどこまで穏やかに止めるかなどで、調整しリスク管理をする。それでも、叩かれれるなら謝罪するか、それとも開き直ってしないか、その時に考えることになります。

ちなみに、私が書いている記事の全てがここで、公開されていると思いますか?休日など時間の合間にちょっとずつ書き貯めても、これは表現が悪いから没というものもある。最後まで書けなくて没もある。およそ、半分ぐらいは没です。

もし、自分の意見を世間に伝えたいと本当に願い、人がその意見に対して、耳を傾けてくれないと思うなら、たくさん本(漫画は駄目です)を読んで、学を高めることです。そして、違う意見を最初から否定しないことです。まずは聞く努力をして、最後まで聞くこと。また、可能な限り人をまとめる役(学校や地域、社会での役員、学生なら学級委員や生徒会)をした方が良いかもしれません。また、書いた後に読み返すこと。

BlogやTwitterなどで気晴らしに簡単につぶやくのは楽ですけど、言葉のつぶやきと文字を同じとして安易に考えると、それは炎上に繋がります。なぜなら、言葉は録音しない限り残りませんが、文字は残りますから・・・。意見が異なる人が見ると、批判に繋がるのです。

本当か嘘かはわかりませんが米初代大統領は、書いた手紙を次の日に出すか決めていたこともあったとか・・・。これは、怒りや憎しみ、悲しみなどの勢いで書くと、文体が乱れ過激表現や謙りが増え、後で後悔するリスクが高くなるという理由があるためです。

少なくとも、日本だけで1億2000万の人がいます。表層だけでも自分の気持ちがわかる他人だって世の中にはいるはずです。ただ、深く知って欲しいなら、それには自分自身が、心を許せる相手を探し、周りにそれを説明しなければいけない。

このように私は考えています。尚、私自身の気持ちが通じない人は通じません。例えこの文章に10日掛けても、人生を賭けても、相手はそこまで思わなければ、分かりませんから・・・。人を理解するのは、相手も自分を理解しようとし、自分も相手を理解しようとしなければ成り立ちませんので。

きっと私が書いているBlogを読んでも、私の気持ちが全て分かる人はいません。共感する人や批判する人はいるでしょうけど、それは言葉や表現、記述している内容に同調するか、しないかに過ぎません。私がこのBlogで求めるのは、そこよりも自分で考える意義です。(過去にも似たようなことを書いた気もしますが・・・)解って貰えないとか、解ってくれた。判断してくれたというのは、それは相手に自分が勝手に求めることであり、自分主体ではない。本来は、自分が相手に何かを提案して、その結果、相手が答えてくれるものです。

それは、現実主義者様がここにコメントを載せてくれたから、今私がそれに答えているように・・・理解は相手に自分の状況を伝えないと伝わりません。

人と違う言葉や意見をいうことを恐れてはいけません。ただ、発言は言霊になり人を縛ります。特に文章は、軽々しく引用したりすれば、とても強力な武器になる反面、相手が自分を貶めるための道具にもなる。自分で述べた事が、結果的に自分の将来に返ってくることもあるのです。だから、短絡的な、精神の浮き沈みである怒りや悲しみ憎しみというものを排除し、冷静に相手を説得したり、相手の意見を聞くぞという気持ちで、述べることが重要です。

というのが、私の気持ちです。現実主義者様は、いろいろと私とは違う苦労されており、この記事の状況が見えるのだと思います。それは、現実主義者様が持っている貴重な意見でしょう。それを、人の意見と交わらせて昇華したいと思うなら、私のようにBlog等で、自分の意見を書かれても良いでしょう。そうでなく、大切に思い続けたいなら、それをしまっておくのも手です。

ここまで書いた理由は、「あなたには解らないんですか」が、どうも引っ掛かったからです。私を悪者に思うのは良いのですが、その理由は書かれていませんし、意見を知ることもできません。そして、なによりここは、あくまで個人のBlogなのです。そこに、はき出すのは何かがあるのだろうと思ったのです。

ここは、掲示板も持っていませんから、現実主義者様の期待に応えてということはできませんが、ご自身の気持ちや主張を発散できる機会に恵まれることを祈っております。


この手の意見性の低い内容や、本文との関わりが分かり難い内容、及び感情的(誹謗中傷またはそれに近いと判断した)内容は、本来は問答無用で削除しています。今後は可能な限り、ご意見としてご自身の立場やスタンスから、どこが悪いか、どうすれば良いかを書いていただければ、本文内で(コメント欄ではありません)返答することがございます。

ちなみに、この内容は反論や納得を求めるものでもありません。そのため、このコメント回答への意見に関するご意見やご要望はコメントには記載しないでください。また、同じ方でも違う方でも、ここでのコメントに対する反応は今後いたしません。(字数制限もありますので)



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この記事へのコメント

現実主義者
2016年01月14日 14:38
チッ、許す以外に道あるんですか…。

どうせ俺らは被害者寄りの意見述べたら反感やら嘲りやらねじ伏せやらの標的にされてしまいな世界に生まれてきてるってのに、あなたには解らないんですか…。

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