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zoom RSS 米テネシー、犬用ケージに子供を入れて移動……親とは何か?虐待を防ぐのは何か?

<<   作成日時 : 2018/06/12 11:06   >>

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ニューヨークタイムズ(NYT)の記事である。日本は、TBSニュースバードと日経ニュース系番組を除けば、首脳会談ばかりなので、早々に切り上げてニュースバードを見ながら、海外紙を漁っていたのだが、NYTのアクセスランキングトップ記事がこれだった。

https://www.nytimes.com/2018/06/11/us/kids-kennels-memphis.html?module=WatchingPortal&region=c-column-middle-span-region&pgType=Homepage&action=click&mediaId=thumb_square&state=standard&contentPlacement=1&version=internal&contentCollection=www.nytimes.com&contentId=https%3A%2F%2Fwww.nytimes.com%2F2018%2F06%2F11%2Fus%2Fkids-kennels-memphis.html&eventName=Watching-article-click


以下のように第三者による映像がYoutubeなどに流れたこともあり、発覚したようだ。



この事件が発覚するまでに、この世帯に対する保護や調査が行われたことはなかったようで、この映像がなければ、発覚しなかったのだろう。

ちなみに、米国では保護が必要なほどの虐待ならともかく、親自身が躾だと思っていて、やっていることが少々行き過ぎな場合、観察を行いながら、教育カリキュラムを受けたり、地域ボランティアなどの活動をすることで改善させるケースもある。(州の法律によって異なる)
まあ、陪審制度があるので単に法的に処罰をする訳では無い。

その代わり、繰り返されたり、殺人などをすれば懲役何十年や極刑(死刑、終身刑)の刑に処されることもあるので、日本のように精神鑑定して減刑をなんてことは2度目3度目で許す甘い国ではない。そのために、陪審がいるとも言える。(ちなみに、日本は裁判員を使わない上級審で覆されることが多々あるので、裁判員の意味が無い。)

しかし、日本の場合は違う。報道を見ていれば分かるが、悪いのは本人とそれを見つけることが出来なかった行政だけに向かう。行政は誰かが通報しない限り動くこともないという前提は全く無視されている。米国のこのケースがそうだろう。行政当局が把握したのはこの映像からだったのだから。ただ、その映像を撮影した人がいたから世間に知られ、行政が動いた。

この米国の事件で、親権者がどのような処分を受けるかはまだ分からないが、これ以外の問題がなければ、教育等で終わるかも知れない。より酷い問題があれば、親権の剥奪などもあるだろう。


まあ、強い虐待で殺されるのを防ぎ、助けるには地域住民がそれに気が付くしかない。しかし、今の日本は地域住民の繋がりが緩くなっているため、それが既にない場所も多い。結果的に、最悪の事態がやってくる。そして、何故かいつも行政ばかりに目が行くのが悲しいことだ。我が家は、地区活動もしている。好きでやる訳じゃないが、やるからこそ分かる事もある。家の近所にこの家族なら、見つけられたのか?というと、親が隠していたならそう簡単にはいかなかっただろう。

自分の地区でそれが起きたらと思うと、助けられたか?助けられなかった?考え難しいかも知れないと思うと、胸が痛いが、そういう視点で見る人は今や殆どいないだろう。
それが、結局隠された場合の限界なのだが、皆、自分には置き換えていないから、行政に目を向ける。本当にそれで良いのだろうかと私は思っている。


日本でも、5歳児の事件があったが、あれは感情で言えばより厳しい監視や管理をという話になる。
しかし、私は違和感を感じている。少子化が進む原因ではないかと……。

確か親(特に母親)の方は虐待がバレるのが怖かったと供述していたという話が一度出ていた。そこで、違和感を覚えた。世間では、親の資格という言葉まで使う人もいるが、ある程度行き過ぎたときに、気が付いたのだろう。しかし、世間の反応や処分を恐れたとしたら、それは世間がそれを生み出していることに他ならないにも関わらず、世間は親だけが悪いと決めつけていることに危うさを感じる。

もし、そこで言い出すことが出来たら5歳の子が死ぬことはなかったかもしれない。親はそれを一生背負って生きていくことになる訳だが、果たしてこれは親だけの問題なのだろうか?心理的に考えると、そう簡単にはいかないはずだ。

一部の国(米国の一部州)では一部の初期虐待に教育を施すというのを書いたが、それはこれを防ぐための施策でもある。隠されることが一番厄介だからだ。だから、早めに見つけられるように、一部で緩さを残すのだ。

そうすると、親は自分から申し出てくれることや、わざと回りに見える場所で行うこともある。自分の状況を知ってもらいたくてそうするのだ。日本は状況の悪化ニュースを頻繁に流し、その割に初期虐待を自分が犯したと分かったときに、それを相談する窓口などの説明はしない。罪悪感があっても、同調する虐待者がいる場合、互いに同調し合って悪い方を目指すことは心理としてあることだ。ただ、そういう報道はされない。


それを断ち切るには、初期〜中期で自らそれを申告した人に対して、手厚い教育と保護をする必要があるのだが、日本はそこを伝えずに、その制度も不十分に、事件の全容ばかりを痛ましい最悪のことやってしまう。そうすると、今同じような虐待をしている人は、絶対に名乗り出ない。隠すだろう。だから、行政が回るしかなくなるが、そこからも隠れようとする。

その上、親の資格がないなんて話をする人までいる。そうすると、彼等はもう資格はないと思いこむ訳で、余計に自棄になる人もいるだろう。


<親の資格よりも大事なこと>

そもそも、親の資格なんて第一子が産まれた時にはじめて親権として生じるものに過ぎない。他人が認めるものではなく、子が親になり、死ぬまで生きてその間に大きな過ちをしなければ、はじめて育ての親は、十分な資格をもっていたことになる。いわゆるその子が人生を全うするまでの結果論で生じるものなのだ。

たいていの場合は、親の方が先に死んでしまうので、親が資格を持っていたかどうかなど知るケースは少ない。もっと分かり易く言えば、第一子が生まれると、親は初めて親になるわけで、その時点では親として新米である。3歳まで育ち、第2子が生まれました。

その時、第二子の親としては新米だが、0歳児の親としては、経験者である。
じゃあ、3歳児の第一子の親としてはどうか?3歳の親としては新米である。たとえ、10歳になっても親として第一子はずっとその年齢の子に対して新米なのだ。

第一子が女の子で第二子が男の子なら、第二子が3歳になっても男の子の親としては新米だろう。子供には性格の差があるため、○○ちゃん、○○くんの親としては常に新米だ。

子供には個性があるので、人数を育てた親ほどベテラン経験者にはなるが、その子という個の親ではいつまでも新米なのだ。育ての親と生みの親など関係が複雑なケースもあるが、基本最も積極的に育てたものが親となる。

本来ここが一番重要なのだが、日本ではこの手の話を出さない。専門家でさえも……。だから、資格(権利)があるかないかで見てしまう。そうすると、子育てを誰からも教われない親、親がそもそも放任主義だった子は、子を育てられなくなる。そして、その責任が親に来る。それを断つ方法を日本は国民全体として本気で考えていないのが見え見えなのだ。


<親が生きている間に示される親の資格は親にとって不幸>


要は、自分の子を育てる経験が、お隣の子に通じるとは限らない。もちろん、参考になることはあるかもしれないが、同じ方法が全員に通じるとは限らない。

しかし、日本で声高に、親の資格があるないを唱える人が多いのは、自分に自信がなく立派でありたいがためであり、下に見下したいからかもしれない。私自身、親の資格と言うときには、そういう感覚があると気が付いた。それは、最近の事件をいくつか見ていて思ったことだ。

本来、発想として妥当なのは、子から見て自分の親を多少なりとも感謝し、誇れるかどうかだろう。もし、それが出来ていなければ、子が事件を起こして、立派な親から、転落することもあり得ることだ。親が素晴らしい親だと思える子は、たとえ不慮の事件や事故を起こしたとしても、その後に自分で解決しようとするものだ。日大事件の加害者を見れば分かるだろう。

あれが、親と子の姿だろう。ただ、それで親の資格があると認められた訳では無い。実際に、その先に子がさらなる事件を起こすこともあるからだ。取り返しが付かないことすれば、親の資格は元々なかったか悪い意味であったに等しい。じゃあ、親の資格がある親は誰か……

本来、親の資格がある親など、数えるほどしかない。しかもかなり不幸な話だ。

既に立派な子を亡くしてしまった親だからだ。新幹線で身を挺した子(男性)の親は、立派、勇敢と呼ばれるより、子に生きていて欲しかったはずだ。亡くなった人も、まさか自分しか即座に立ち向かわないで、死ぬとは思っていなかったかもしれない。それも、悪い意味で運命だが、これは親が育てた立派な子であり、親の資格があったからこそ子はそれを全うしたという見方になる。

自分が生きている間に、親の資格(立派な子を育てられる資格)がある親には本来なりたくないものだ。それは、親より先に立派なお子さんでしたと完了形で言われることなのだから……。

本来は、親の資格より、子に貴方の子で良かったと思える親になることが大事だ。周りから素晴らしい親だねと言われるよりも、子や孫、または子の周囲(親族や近所)に評価される程度で良いのだ。世間にとって悪人にならず、親より生きてくれること、親を偶に嫌ってもある部分では尊敬してくれるそれで十分。

そう子供に思って貰うために、今も虐待していて隠そうとしている親が、勇気を持って児童相談所などに相談できる世の中にしなければいけない。


<短期の感情より、長い目で広い視点で改善する大切さ>

悲しい痛ましい事件が起きたときだけ、こんな事件を起こさないため、親の資格がない人を捕まえよう、未然に減らしてなんていう世の中じゃ、真面目でも気の弱い親と子は不幸になりやすい。だって、皆、子を叱る時に近所からの通報や自治体の動きにビクビクする世の中になるってことでもある。ちょっとでもやり過ぎれば虐待になる。そんな社会では子供を育てるのも難しくなる。何せ、共働きも増え、近所づきあいも減っているのだから、相談できる場も限られる中で、一度それに填まれば、相談も出来ず周りも気が付きにくく、抜け出すのが難しくなるのだから。

海外ネタを出したのは、虐待は日本だけで起きていることではないということを示すためでもある。もっと言えば、誰だって親なら子を虐待していると見られる可能性は潜んでいる。子供が○○したいとい言ったことを、実現しただけで、周りからは虐待と思われるかもしれない。
 ちょっと口を利かなければ、ちょっと叩けば虐待予備軍として扱えるのが今の世だ。しかし、そこから子供との関係性がより良いものになるなら、それは価値のあることだ。それが、バレずにエスカレートして子供が死ねば親子とも最悪だ。

その分岐点は、誰が勇気を持って行動するかに掛かっている。それが行政である必要はないし、やっている本人だって良いのでり、「自分は親失格です」と言えるぐらいの親の方が、将来素晴らしいお父さん、お母さんですと子供が言ってくれる可能性だってある。


尚、海外動画だが、最初からネットにオープンで公開するかどうかは、日本では考えた方がよい。人口減少もあり、保護や監視がいろいろザルだからだ。
これが、虐待より社会差別の原因になることもある。それが事件ではない場合や、簡易な処分に留まったときに、日本人は親を叩いたら、子も苦しむことが分からず、不幸になる恐れもある。ネット時代の私刑ほど恐ろしいことはない。だから、本来はニュースで感情を煽るのは極力避けるべきなのだが、もうこれで視聴率を取る時代になり、難しいだろう。


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