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zoom RSS 残業100時間超で摘発 人手不足の中小に不安・・・・本当は皆不安では?

<<   作成日時 : 2017/03/14 10:36   >>

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労組にしても、会社にしても、国にしても何を考えてこういう流れなのかは、よく分からない。いや、労務災害や過労死根絶をしなくても良いという話ではない。一つ思うのは、いずれにしても労働時間短縮が根本的な解決策ではないということだけが、私が思う点だからである。これは、理解できる人と出来ない人が居る話であるが・・・。
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/170314/ecd1703140500004-n1.htm

<仕事の基本はやり甲斐と対価である>

労働の基本は、やり甲斐と対価である。例えば、あなたが一番やりたいことをただしているだけでお金が貰える仕事があったとしよう。1時間で3000円、24時間やろうが、1日8時間やろうが、週休3日だろうが、一ヶ月休んであとはぶっ続けでやろうが、構わない。そんな仕事があったとしよう。

あなたは、どれだけ働くだろうか?考えて欲しい。いっぱいお金が欲しい人は、沢山働くだろうし・・・。

まあ、フリーランスや自営業の仕事はある意味、これに近いが、それが全部楽しいわけではない。事務仕事も自分でしなければいけないし、嫌な仕事もあるからだ。それでも、まあ会社員として誰かに働けと言われて、常に歯車として動き続けるよりは、順調ならストレスも少ないだろう。あくまで、順調ならだが・・・。


労働に対する疲労蓄積には少なくとも大きな2つの要素がある。

1つは、十分な対価があることだ。
もう一つは、やり甲斐があることである。

たったこれだけである。実は対価には金銭的なもものあるが、精神的な支えや、休息も含まれている。やり甲斐は、その名の通り、やっていて楽しい、皆が喜んでくれて嬉しいなどの部分だ。これに自分の成長が実感できればさらにポイントは高くなる。尚、どちらか一方だけでも極端に大きな対価なら、それで相殺することが可能な場合もある。その代わり、どちらか一方が極端な対価の場合は長く続かない。

ちなみに、会社に殺されるパターンは、両方が想像より低く、尚且つ他の選択肢がないと思い込まされたときである。そこに陥ると、どんどん苦しい方向へと進む。


では、今回の制度改正で、やり甲斐や対価は増えるのだろうか?

現実を言えば、増えない。たぶん、誰かがその対価分を補填しなければいけなくなるのだ。それに、該当する人が苦しむだけだが、それについては誰も何も言わない。何故なら、自分たちは関係ないからだ。ただ、自分にそれが回ってきたときに、きっと気が付くはずだ。これが、全体に対する対価の代償なのだと。結局、労災過労は減らず、逆にしわ寄せを受ける人は、より辛くなるはずだ。相対的に人数は減るはずだが、それに残念ながら選ばれた人は、地獄だろう。

<本来は対価を実情に合わせて増やすべきだった>

私が思うに、この手の過労労災問題で一番足りていないのは、企業に対する代償であり、労働者に対する対価だ。端的に言えば、労働しているのに適正な労働時間に対する賃金が払われていない人がいるなら、その人に賃金を払う必要がある。賃金を払わない企業には、追徴などで相応の罰則を設けることで、たぶん企業は、対価の与え方を考えるだろう。

100時間を越えて労働してはいけないより、100時間を越えるなら割り増しを1.5〜2倍にすれば良い。2倍対価を払うなら、労働者を一人そのぶん雇った方が、利益になる。そう思えば、長時間労働は是正される。それに、上記のただ働きをしている労働者に適正な賃金を与える改正をすれば、かなり効果は大きい。まあ、一部、管理者はその対象にならない制度があるので、日本ではうまく機能しないだろうが・・・。

本来、管理者は時間外相当額が含まれているという場合、その管理者はDirectorクラスで労働者の指揮命令と賃金予算に対して相当程度の権限を持っていなければいけない。場合によっては、追加で労働者を入れるぐらいの権限が必要なのだ。それもなく、管理者になっているなら、彼らは管理者ではなく、後述するがスレイブ(奴隷)である。日本の制度は大企業視点過ぎておかしくなってしまっている。

国際的な視野や競争力などと言うが、日本ほど無賃で平社員やバイトが働く国は少ない。日本の実情は日本国が状況を見て法制化するしかないのだ。それを政府がやらず、国際社会の基準に照らすから結果的に、時間短縮ばかりに目がいってしまうのである。


<ストレスが増える休めない組織体制>

もう一つは、例えば子供の参観日にあなたは堂々と仕事を休めますか?
旅行をしたいな気分転換したいなと思ったら有給をすぐに取得できますか?

という点だ。必死に働いて、年休(年次有給休暇)が上限の40日貯まって毎年数日捨てられていく仕事を、何年か続けて、ああこの日に休みたいなと思った日に、あなたは堂々と休めるだろうか?

これは、大手でも結構休めないところがあるはずだ。その理由は、上が休まない。自分の仕事が片付かない、休んだらその次の日から倍の仕事がなどいろいろ理由があるだろう。休みたくない人が休まないのは、構わないが、休みたい日に休めないのは、実は疲労に繋がることは、誰も語りはしない。実はこの方が、遙かにストレスは大きく後々に疲労が残るのだ。

例え月に100時間の過労ぎりぎりの仕事をしていても、実はたった一日の自分の予定が仕事でキャンセルされるのと、ちゃんとそこで自分の時間が設けられるのでは全く違うのであるが、そういう話はこの数年全く出なくなった。実はこれはかなり大きな話なのだが、多くの人はその時にならないとこれの重要性に気が付かない。

昔は、この手の話は良く出ていたが、日本ではとにかく先に制度を作って後は、運用で何とかしろよという話ばかりで終わる。だから、結果的に使われない○○休暇、○○制度、○○日というのが、沢山出来ていく。でも、結局は使われない上に、金銭にも換えられないので、忘れ去られ、時に使われると好奇の目と、さげすんだ目などで見られる。

最終的にその流れで、ただ働きするものが評価されるシステムまであり、さらにホワイトカラーなら労働時間総量制度で許す。世界でもいびつに大企業が望む政策を行う替わった国が日本である。その一方で、日本固有の問題点は誰も対処しない。

<同じ規制を強くするだけの社会は閉塞する>

個人的に、時間短縮をすれば労務災害や過労死は減るというのは、間違っていないと思うが、これまでも労働三法は、こういう部分に力を入れてきた。まあ、100時間を切ったとして、次に過労死が取り沙汰されるときには、また時間論になりそうだなと思っている。

結局やっていることは、一部の人にしわ寄せが来る制度になりかねない。何より、100時間は誰でも容認され、嫌でもやることになる。本来は100時間でも200時間でも別に良いのだ。本人が負担に感じておらず、楽しんで仕事を出来、心身豊かな生活が送れるならば。ただ、皆がそれを望むわけでもないし、例え本人が望んで、やり過ぎるのは決して良い結果を生まない。だから、規制が必要になるのだ。


そしてその規制は、本来段階的に企業が嫌がる制度を設けて、設置するのが政府の政策としては最適なはずだ。
企業の利益として100時間働かせるより、10時間にしてもらって、その代わり一人か二人別の人を入れた方が、福利厚生も含めたコストが下がるなら、そっちの方が、求人も増えて国民にも嬉しいかも知れない。


こういう制度を考えないから、結果的に社会は徐々に閉塞に向かうのではないかと思う。今の安倍政権になってからは、特に最初から、これしかないような流れが多い。これは、与野党ともに反対か賛成か、対案があるかないかぐらいかしか話さないからだ。少なくとも2000年頃までは、対案を出す出さないではなく、問題点に対して、対応策を述べていたし、世間が望む方向にするために、企業聴取や団体聴取だけでは済ませず、地域聴取などもまとめて、議論する事も結構あったと思うが・・・・。

何故か最近は、これで行くか、廃案かぐらいしかない。

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