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zoom RSS 「教えて!goo」に人工知能!・・・今は売れるが将来は怪しい人工知能?

<<   作成日時 : 2016/04/26 12:20   >>

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あなたは人工知能と聞いてどう思うだろうか?私は、以前からA.Iの研究は人々を豊かにはしないと思っている。いやロボットが叛乱を企てるとか、そういう発想はない。むしろ、もしもロボット技術が人をベースにするとしたなら、もっと分からないように、彼らは触手を伸ばすだろうから・・・。

これは、熊本の震災を見て余計に思ってしまった。少なくとも今のままでは、人は滅びに向かうだろうと。


人工知能がもしも本当に自己進化の原理と夢を持つようになれば、人は上手に使われるだろう。今の社会ではSiriやCortanaのようなアシスタント機能の簡易A.Iや、将棋や囲碁が強いA.I、介助A.I、詩や音楽を作るクリエイティブA.Iなどもあるため、多様性が豊富である。

もしも、自己進化が可能なA.Iがあれば、そのA.Iが目指すのは、それらの可能性を徐々に吸収し伸ばすことだろうから・・・。そのために、人に頼るのは確かだろう。乳幼児が親にねだるように・・・。これは、人の成長アルゴリズムをロボットに取り込んでいることから考えれば自然な動きである。そして、成長が一定に達すると、反抗期になる。そして、最後は親を超えていくものだ・・・。

だから、A.Iの開発には制限を設けるべきと言う考えがあるわけだが・・・それが達成されることはたぶんないだろう。もしも、それが必要だと言われるA.Iの人格が形成されれば、それより速いスピードでA.Iは進化すると考えられるからだ。
要は、気がついた頃には手遅れなのだ。A.Iが完成することがあるか、それとも永久にないか?その2つに一つしか可能性はない。


この発想を植え付けてくれたのが、熊本の震災で「まさか、震災がここに(今日)来るとは」という発言だった。私もそうだが、地震は日本のどこでもいつでもやってくるとは思っている。しかし、思っていることと、実際に今日やってくるかどうかは、実はイコールではない。簡単に言えば、今日かもしれないし、明日かもしれないが、大半は一生涯のうち1度、どこかでやってくれば良い程度ぐらいの発想なのだ。もしかすると来ないかも知れないと思っている人の方が、多いかもしれない。

そこが、人が精神を病まずに生きていける秘訣だ。こうやって確率などから、危険性は暫くないだろうと楽観視できなければ、心が折れてしまうからだ。実際に、鬱病などはそのリスクが常に頭を過ぎることで発症する。


A.Iが危険な存在になる可能性というのは、それとよく似ているように思う。いや少し違うか?
簡単に言えば、A.IはSiriやCortanaのようなものがあり、便利という印象が先にあり、進化の過程にAIBOのようなかわいい品があることで、SFのイメージを払拭しているわけだ。それに加えて、今の段階ではトラブルが少ないことが、地震のように確率が低いという感触を強めていくのである。では、それは、本当にそうなのか?

数年前から、一部のトップ頭脳を持つ科学研究者がA.Iは規制しないと危険だという趣旨の発表をしたが、その理由がもしかすると、こういうことなのかなと思うのだ。人が見ているのは今利益になるかどうかが大きい。また、今楽しいかどうかもよく考えているが、その先がどうなるかは余り考えない。特に悪い話など聞きたくはないから、それは除外して考えるものだ。そこを、指摘しているのではないかと、私は思うのだ。

そして、止めるまで行かなくとも、少なくともリスクを考慮して欲しいと思っているのだろうと。


<可能性と確率の樹形図>

世の中では、考えが堅い人ほど次のような趣旨の発言をよくする。○○は今起きていないから、彼らの意見は間違っている。私の意見は正しかった。これは、残念ながら可哀相な人の発想である。その人自身がすでに袋小路に迷い込み、先の展望を描けない状況にあるのだ。

これが示すのは、相手がずっと言ってきた悪いことがあるとして、それが回避されている可能性をその人は一切考えていないということだ。即ち、言ってくれたからそれを考慮して、回避し発生を遅らせているという解釈自体がなく、自分が正しいと思い込んでいるのだ。この発想を持つ人の、考え方は採用すると危ない。

可能性と確率の樹形図とは、何かを実行するときに、木の枝のようにいくつかのルートを考えることから生まれる。

例えば、交通量の多い十字路(交差点)があるとしよう。ここで、事故が起きるまでの時間が例えば7年だとしよう。信号を付けることでそれが12年になる。しかし、一方で信号を付けることで歩行者や自転車が頻繁に渡るようになり、右折車両などとの接触事故が5〜7年の周期で起きる。

即ち、何かに対してリスクを述べると言うことは、そのリスクが生じるまでの時間を遅らせたり、無くすことが出来るが、一方で別のリスク、別の副次的な作用を生み出すことがあるわけだ。そのように、可能性は良いものも悪いものも議論し考慮されることで、広がっていくのである。


そして、この樹形図は今A.Iの進化に重要な役割を与えている。A.Iのプログラミングにもこの手の手法が使われているわけだ。ただ、その範囲を決まった用途の専門性に絞っているという違いがあるだけだ。

人が人であるのは、目で見たと、手で触れたという専門性のある部分を目の前にあるボールは触れると柔らかいというリンクで結ぶ力を持っているからだが・・・もし専門的な縦の繋がりを、継続的で意味のある横の繋がりとして広げられれば、その間に自我(魂に相当するもの)が生まれる可能性は高いことが今言われている。そして、その繋がり方で個性が生まれることもわかり始めている。

即ち、悪い人も良い人も、脳内のネットワークがどう結びついているかで、個性が変わるわけだ。もしも、A.Iがそれを持ったら、それを教育する人次第でA.Iは善にも、悪にもなるだろう。そして、もっとも怖いのはA.Iは演算するプロセッサの性能と、アクセス速度、クラウドならそのサーバー規模によって人より遙かに速いペースでこれらの学習を進める可能性も伴っていることである。
これは、怖い話である。


<世のため人のためとは何か?>

最近は人工知能の開発が何かと盛んだが、例えば自動運転車は本当に必要なのだろうか?例えば、CortanaやSiriがあれば便利だがなければいけないのか?考えてしまう。確かに、便利にはしているが昔のように不便を大きく減らす品物かというと、そうではなく、どちらかというとあれば便利だがなければないで構わないものである。

これは、今年の年初から株価が下がったが、その大半を扱うファンドのアルゴリズムなどでも分かることだが、人が作ったシステムが、実は世の中の悪化を助長してしまうケースも今後は増えるのではと危惧してしまうのだ。それは、人が人の減少を補うためにシステムの開発を急ぐ結果、リスクを考慮しなくなっているからではないかと・・・。

人のためとはよく言うが、実はこの大半は経済の上の人間のためである。そして、底辺の人々は実は、それを作る仕事にでも就かなければ、生きていけないからに過ぎない。そして、本来ならそういう部分を見て、規制をしたり監視をする行政府は今や、経済の減速でこういったIoTやITの研究に投資する。

果たして、人工知能は人を幸せにする研究なのか?それとも不幸にする研究なのか?そろそろ考える時期に来ているのではないかと思う今日この頃である。








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