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zoom RSS 日本電気を知らないのは「あり」か「なし」か?よりも大事なこと・・・

<<   作成日時 : 2016/02/07 11:45   >>

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どうでも良いといえば、どうでも良いのだが・・・IT Mediaの記事である。これをテーマにしたのは、その昔、この話題を同僚としたことがあったことを思い出したからだ。しかも、タイトルのNECネタだった。名刺に日本電気と書いてあっても、分からないとか・・・。ロゴを見て、NECの子会社かと・・・。そこで、富士通の漢字の読みやFUJITSUの読みでも、面白回答があったが・・・もう忘れた。

もう10年以上前の話だ。私もIT系の人間であるため、こういう話題が自然に出たのだ。
そして、世間の若者は思ったほど社名を知らないという話になった。それは当然だ。なんせ、企業名など自分で調べない限りは、教えてくれる人は少ないからだ。(私は、経済学が好きなので、人並みには知っているはずだ・・・自信はないが・・・)

そういう人は少ないのだ。

その結果、大手企業でも略称と正式名称を一致して覚えている人は少なく、知らない人はいるという結論になった。日本電信電話株式会社(Nippon Telegraph and Telephone Corporation)をGoogle検索がなければ、NTTと知らない人は世の中にいくらでもいるのだ。Kokusai Denshin DenwaだったKDD{現在のKDDI-第二電電(DDI/Daini Denden Inc.)と日本移動通信(IDO)を統合した際のIを後ろに加えた物。}を知っているかとか・・・そういう話である。

そういう話をした覚えを思い出した。そして、そういうネタが記事になる時代で、しかもこれが常識ネタとして使われるのかと・・・。むしろ、私にとって、この常識は全く別の視点だった。別に正式な社名や略称の由来は知らなくても、一生を過ごすことは出来る。言葉というものは、伝われば良いのだという発想に繋がったのだから・・・。

人は「知っていることは知っているが、知らないことは知らない。」のだ。

私が自分で定める格言の一つである。他に、「絶対というのもは存在しないことこそ、絶対に違いない(正しい)」というまるで哲学な理屈である。将来機会があれば、これについても書きたいが、まあ、端的に言えば、絶対の法則は、成立する物もあれば、成立しない物もあるということだ。そして、絶対の法則でも、実は人類の科学では絶対でもさらに高次の学問があれば、覆されることもあるという凄いものである。用は、地球は平らか、それとも丸いかの理屈の発展である。


話を戻すが・・・若く学校以外の社会に関わっていないなら、尚のこと自分から興味をもって調べない限りは、企業のことは知らないものなのだ。学生に、日本電信電話で働いているといっても、NTTだと分かってくれない人はいくらかいるのである。それを知っていて常識と思っているのは、あなたが今、知っているからだ。そして、知らなくても良いのは、それだけ企業がブランドを上手に市場で普及させた結果である。褒めるべきは、企業であって、責めるべきが社名を知らない人でない。
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1602/05/news152.html



<略称を知らないことの欠点は・・・>

これは、略称に限ったことではない。例えば、それ知っているという話から、説明してみたら、周りみんなから違うと否定されると、恥ずかしいものだ。勘違いや間違いである。自分の博識ポイントも下がる。

略称を知らなかったり、間違って答えてしまうのはそれと同じで、劣等感に繋がる。ただ、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」ということわざがあるように、知らないことを間違って答えても、知らないことを知らないと言うことは、最終的に次に同じ話が出てきても、それに対応できるようになるということであり、良いことだ。別に知らないこと=非常識とは限らない。

即ち、知らないことの欠点は、一時の恥か、一生知らないという恥を隠し通すかぐらいの問題でしかない。

場合によっては、恥も全くなく教えてくれる人もいるだろう。まあ、これで恥だと思う人は、若いうちに可能な限り、恥をかいておくことだ。年を取ると、プライドが高くなり、恥に怒りが加わる恐れもあるのだから・・・。


<略称を知っていることの利点は・・・>

では、最初から知っている人の利点は何か。それは、人に教えられるというステータスと、人とそれを用いた交渉や話がスムースに出来ると言うことである。きっと知らない人は、知っている人から見れば、ああこの人は知らないのかという観点から入ってしまうため、説明をしなければいけない。その時点で、さらに上の話へと進むことはできない訳だ。もちろん、営業などのテクニックとして、知らないので教えてくださいとお願いし、相手を気分良くするというのもあるが・・・。

そうでなければ、見下されかねない訳だ。それがないという点で、少し相手との距離、立ち位置、会話の仕方が相手を敬う方向に進む。物事をたくさん理解している人は、たいていの場合は、プラスに働く。

略称程度でそこまでいくとは言えないが、多くを知っているということは、即ちステータスなのである。

ここまで読めば分かるが、画一的に知っているから知らないから、非常識という結論は実は出ない。もちろん、ドレスコードがあると書かれているのに、知らないからということは出来ないし。免許を持っていて、一方通行なのに、逆走すれば・・・それは非常識(違法行為や迷惑行為)になるが、知らない=全て非常識ではない。この場合の知らないは、いわゆる略称であるため、知らなくても良いものである。

<知らぬことに対する常識と非常識の境界>

要は、何事も知っているに越したことはないが、知らないのを隠してしまうより、知ろうとする努力が大事だということである。そもそも、常識は何でも知っていることではない。そんな全知全能の神様がいるなら、きっと生まれてすぐに、立ち上がり、7歩歩いて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と叫ぶより凄いことだろう。即ち、知らないことは誰にでもあるのだ。
だからこそ、知っている振りをしないことが肝要なのである。要は、知らないのに知っていると言ったら、非常識である。知らないことを、知ろうとしたなら常識人である。

世間では、知らないことを非常識という人もいるが、そうではないのだ。
知らないんだから仕方ないと割り切られ横暴に振る舞われると確かに非常識だが、知らなかったから教えて貰おうとか、みんなは知っていましたか?という話なら、非常識でも何でもない。「あり」か「なし」かを語るなら、知らなかった・・・の後に続く行動や言動によってその人の「常識」度を考えた方が良い。


ちなみに、「知らない。教えて」と素直に言った人に、知っていて当然、なんで知らないのといった発言をする人で、教えない人や、強く批判する人は、非常識な人である。ただ責め立てるだけの人は、自分が同じ立場にならないと思っている訳であり、攻撃することで自分のストレスを解消したり、楽しんでいることを意味する。
この傾向が強い場合は、非常識な人間として見られるので気をつけなければいけない。


要は、常識を知らないことが非常識なのではない。常識を知ろうとしないことと、常識を知らない人を馬鹿にする人が非常識なのだ。知らないことは誰にでもある。欠如することもあるのだそれを知っておくことこそ、重要な事だ。

ただし、資格や学歴などによって生じる社会通念上の常識は、その限りではない。
今回はそれには該当しない話だから、上記が成立するのだ。



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